「ステージから(1)」


〜未熟・非才をかえりみず〜

            町田 雅之
 親子でステージに Sept. 1997
on stage 1.サン・サーンス作曲「動物の謝肉祭」から、「白鳥」
有名なこの曲はもともとチェロのために書かれた曲である。これをフルートでやるのは「白鳥」というよりは「サギ」に近い。ああ、それにしてもゆっくり動いていく音のひとつひとつをきちんと鳴らしながら、どこで息を吸ったらいいのだろう。白鳥は優美に動きながら、きっと水面下では必死に足を動かしているに違いない。

2.シモネッティ作曲「マドリガル」
これも、フルートの曲じゃない。バイオリンの流麗、というよりは、すこしポルタメントのかかった甘ったるいフレージングがイメージにはあるのだが、フルートではどうもゴツゴツしてしまう。
そういえばこの曲の楽譜はえんぶの編集長ともども出張した札幌で買ったのだ。パソコン通信で知り合った、札幌に住むフルート仲間に出没を予言してしていたのだが、くだんの店で、彼は私を見つけ、そうかもしれないと思いながら、フルートの楽譜に接近したら声をかけようとじっとその機をうかがっていたそうだ。結局彼ときちんと対面したのは、それから半年後の厳寒の札幌であった。

3.ショパン作曲「スケルツォ第2番」
これは娘のピアノソロ。比較的短めの曲ばかりを並べた中では11分を越える当夜の一番長い曲である。高3の娘はこれを暗譜、つまり譜面を見ずに弾いた。後半にも、短いとはいえ複雑さではこの曲の比ではない2曲のソロがある。それも暗譜したという。自分の娘のどこに、こんな集中力が潜んでいたのだろうか。
残念ながら、ステージ前半の娘の演奏はかなり散漫な印象を拭えなかった。台風の接近中というのに、予想外の聴衆、というより小さい頃からの顔なじみの人達がたくさん来てくれたことで、たぶん気が動転していたのだろう。

4.ドップラー作曲「ハンガリー田園幻想曲」から
横溝作品にも登場するこの曲は、何故か日本人が好むことで有名になっていった。私は、この曲を演奏するためにフルートを吹き始めたようなものだが、もちろん、右手の中指と薬指が揃っていても、完璧に演奏するのは30年たった今でも容易ではない。しかし指導者のいないのをいいことに、この曲をエチュードの代わりにしながらフルートとつきあってきたせいもあって、小うるさいスケールもアルペジオも、この曲のフレーズであればあまり苦にならない。
問題は、必ずしもテンポ通りには演奏されない部分のかなり多いこの曲の伴奏だ。娘は私のクセをよく知っているらしく、うまく間をとってついてきてくれる。ピアノ弾きとしては技術も、経験もまだまだだが、私にとって、この曲をこれだけ気もちよく伴奏してもらうのは初めての経験である。こんなことであれば、もう少し無理をして、この曲の後半部分までをステージに上げれば良かった、などと思う。

自分の高校生の頃を振り返れば、音大のピアノ科を受ける、などというのは本当に選ばれた者だけが可能なことであったと思う。当時、ふるさとの同世代のピアノを志す生徒たちが望みうる、ほぼ最高とされていた大学への推薦基準を、娘はすでに満たしていた。ただ、私が個人的に長年抱いている音大への疑問を感じとってはいたらしい。私が選択肢のひとつとして提示した技術系専門学校に興味を示してくれた。もし、そちらへの進学が決まれば、この先ピアノを弾く時間はおのずと限られてくる。私も父親の死んだ年を過ぎて、残りの時間、ということを考えないではない。無茶かもしれないが、今を逃しては一生娘と一緒にステージに上がる機会がないかもしれないと考えた私は、ごく親しくしていただいている方々に案内を差し上げて、自らをステージに上げることにした。結果として、むしろ娘が新しい喜びを発見したようである。(つづく)

生月自然の会会報「えんぶ」27号(97年11月発行)に掲載
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