誕 生 日


町田 雅之 

 9月1日に平戸市出身の詩人藤浦洸の生誕100年を記念するコンサートがあった。学校の先生方のご努力もあって7歳から70歳までの500名近い大合唱も実現した。本番近くにその合唱の指揮の役がまわってくるとは予想もしていなかったが。
 500人を前に変拍子と格闘しながら、私の中では藤浦洸氏が亡くなられた年の様子が思い出されていた。祖父の親友でもあった氏の訃報に接する2ヵ月足らず前に、生後間もない私の長男が亡くなっており、私にとってはまだそちらの印象のほうが強い時期であった。そしてその秋、平戸市で行われた追悼演奏会では、作曲者である團伊玖磨氏自身の指揮でこの曲が演奏された。次の子をお腹にかかえた妻と客席で聞いていたのだが、この合唱にさしかかった頃、妻は破水し、それから二時間ほどして長女が誕生した。昭和54年11月の末近くのこと
 そんな記憶とは関係なく、誰にも誕生日がある。しかしこの年になるとなかなか素直に喜べないものもあるし、それ自体を失念していることさえある。
 昨年のこと、比較的年齢の離れたわが家の子どもたちが、珍しくもお金のことで口げんかを始めた。なんだか長引いている様相にほってもおけず、仲裁にはいってはみたが、頑としてその理由を言いたがらない。不思議に思いながらなお問いただすと、末の息子が「お父さんの誕生日だから。」と漏らす。内緒だったのに、と言いたげに顔を見合わせる姉ふたり。金銭感覚の全く違う3人が、おそらくは父親になにかの気持ちを伝えたくて、プレゼントをどうするかで涙まじりの口論になっていたのだ。ケンカの原因が自分であったおどろきと、我が子の成長を知る誕生日となった。
 そういえば、まもなく、一度も自分の誕生日を知らずに逝った長男の20回目の誕生日がやってくる。

1998.10.18掲載 

                                  

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