美しい音


町田 雅之 

 「耳ざわりの良い」という言い方が耳障りでなくなった人も少なくないのではないだろうか。もともとは不愉快な音や声を「耳障り」と形容していたはずである。障る程度も人や場面によってまちまちであろうが、まだ「目ざわりの良い」という表現が現われないところをみると、この二つの感覚にはなにかの違いがあるようだ。
 かなり改善されたとはいえ一般に日本の住宅は音に弱いと言われている。見たくない、見られたくないものは、なにかでさえぎってしまえばおよそ片付くが、音はそうはいかない。空気の振動をとめるだけでなく、その素材自体が振動を伝えないということも必要だから、普通の家屋で隣接した空間からの音を遮ろうとすると、相当な根性が必要になる。私事ながら自分が音楽を練習する際の「騒音」を外に出さないためにも同じ努力が必要であった。
 一歩外にでると街の中にも音があふれている。暮らしに直接影響のある大事なお知らせがなされている場合もあれば、商店街のにぎわいを演出している場合もある。昔の日本で太鼓を打ったように、ヨーロッパの都市ではファンファーレが時を告げた。拡声器のない時代、街中にファンファーレが届くくらいに都市も静かだったに違いない。
 自動車に拡声器を積んで走らせるというのは、いろんなイベントの告知手段として、必ずと言って良いほど実行される。効果がないとは言わないまでも、個人的には常々疑問を抱いていて、それが美しい音楽を聞きに来て欲しい、というコンサートのお知らせであったりすると、どうしてもどこか矛盾しているような複雑な気持ちになってしまう。
 まもなく統一地方選。私の本業にとっても四年に一度の書き入れどきである。耳ざわりが良いだけでない、心から美しい言葉が聞ければいい。

1999.03.21掲載 

                                  

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